ごあいさつ
ごあいさつ
こんにちは、養生庵の前田あみです。本日は当社のHPにお越しいただき、ありがとうございました。
わたしは長年、経営コンサルティングをしてきました。仕事が好きで猛烈に働いていました。20代半ばから、不眠、過敏性大腸炎、ひどい肩こり、月経前の激痛やイライラを感じ始めました。でも、健康診断の結果は正常。なので、軽い疲労程度だと信じていました。
それなのに、ある朝、目が覚めると、首すら動かせなくなっていたのです。着ているパジャマが当たるだけで、首から背中に皮膚がひきつれるような激痛が走りました。そして、その痛みは日々移動したのです。
何軒もの病院に行きましたが、原因は分かりませんでした。しかも痛みの箇所には検査をしても何も見つかりませんでした。健康診断に限らず、機械が測定できるのは、からだのほんの一部にすぎないということを、その時に初めて知ったのです。
その後、偶然知り合った米国のオステオパシーという分野の医師(DO)の「線維筋痛症ではないか」とのコメントがきっかけで病名が判明しました。
当時は日本国内で線維筋痛症の治療を成功させている病院は見あたりませんでした。そこで、インターネットで、線維筋痛症治療に従事している米国の治療家に相談をしたところ「鍼灸と指圧が一定の効果を上げているので、何も説明しなくても、あなたの症状が普通のコリではないと気付いた治療師を信じて治療を任せてみてはどうか」とのアドバイスをもらったのです。
60軒の治療院を回りました。そして、そのうち3人が、わたしの症状が通常の肩こりではない、ということに気がつきました。わたしは、このうちの1人の治療家に賭けてみることにしました。
この治療家は、線維筋痛症という病気のことは何も知りませんでした。しかし「筋肉の触感がおかしい。弾力がなくスポンジのようなので、押してはいけない。まずは温めましょう」と言いました。
3ヶ月間、温熱療法を続けました。温めた後で筋肉の弾力を確認し、弾力が回復基調になって初めて、指圧や筋膜リリースなどの手技を組み合わせました。その後、食物やストレッチ、漢方薬など少しずつ、からだが良い方向に反応するものを探り、全面的に日常生活を組立て直していったのです。
こうして、難病と言われている線維筋痛症から、わたしは生還することができました。線維筋痛症の治療の過程で、月経前症候群(PMS)や低血糖症も改善し、現在はごく普通に生活を送ることができています。
その後、わたしの治療を担当した治療家と「57人の治療家と3人の治療家の何が違ったのか」を何回も話し合いました。そして、わたし達は「技術だけが原因ではない」という結論に達しました。
最大の違いは、治療家が問診に時間をかけ、一人一人の患者に真剣に集中して反応を探ることができる環境であるかどうか、ではないか、と思い至ったのです。
また、わたしが3人のうちこの治療家を選択したのには理由がありました。本格的な治療をするにしては珍しく、週末と深夜に営業をしていたのです。そのため、働きながら、毎日治療を受けることができたのです。(最初の1カ月は休職していましたが)
線維筋痛症は、日本人女性の100人に4人が罹患する可能性がある病気です。日本では、鍼灸/指圧/日本食/漢方などを効果的に使ってきたことで、悪化させることは極めて稀でした。そのため難病としてはあまり認知されていませんでした。
しかし、ここ数年、東洋医学の敷居が高くなる一方で、女性の社会進出が進んだこともあってか、わたしのように寝たきりとなる女性が後を絶ちません。
わたしのように、からだの声に気が付かずに寝たきりになってしまう人をこれ以上増やしたくない。そのためには、
- 問診に時間をかける
- 一人一人のからだと真剣に向かい合う
- 治療方針を説明して理解してもらってから治療・施術を始める
- 施術だけではなく、食事や運動など自分自身で行うべきことも助言できる
- 働いている人が通いやすい営業時間、立地
- 治療院治療院しておらず、若い女性でも入りやすい
こういう治療院を増やしていく必要がある。
わたし達は、そう思い始めました。そこで、協力して養生庵を立ち上げることにしたのです。
今はまだ、東洋医学の中でも、鍼灸と食養が中心の小さな「庵」です。しかし、生活の中に「養生」を組み込んでいくために必要な、あらゆるアドバイスができる場所にしていくために、スタッフ一同、日々真剣に研鑽してまいります。
今後とも、よろしくお願いいたします。
ロゴの由来
猫はとてもおかしな格好で眠ります。しかし、絶対に寝違えません。また、誰からも教えられなくても伸びをして自力で体を整えるため、喧嘩以外での怪我がとても少ない動物です。
からだの声を聞き、自分で自分の体のケアができるようになる場として、しなやかな、それでいて愛らしい猫がふさわしいと考えました。
社名の由来
江戸時代に貝原益軒という医師が「養生訓」という本を出しました。日本の四季、日本の食材、そして日本人の体質に合わせた健康術に関する書籍です。この本は江戸時代に大ベストセラーになりました。
日本の気候、そして日本人の体質や生活にマッチした、オーダーメイドの未病ケアの場、自分の体のプロフェッショナルになれる場。これは、貝原益軒の「養生」の思想そのものです。
しかし、わたし達はまだまだ小さいチャレンジャーです。ですので「庵(ちいさい場)」を付けて「養生庵」といたしました。